出張先での雑記帖



京都府 大山崎


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2025年 4月28日(月) 大山崎(京都)

<ぶらり天王山>

「天下分け目の天王山」 として全国的にもその名を知られる天王山
その語源としては昔、豊臣(羽柴)秀吉と明智光秀が覇権をかけて、
天王山で合戦をしたのが由来だと言われております。
その戦いに勝った秀吉は、その後、天下統一を果たし、
「この山を制した方が天下を取ることになる」 と云われるようになりました。


<マンホールカード>

マンホールカードは、全国各地でデザインの異なる
マンホールの蓋をモチーフに作られたコレクションカードです。

大山崎町では
「町の鳥(ウグイス)」「町の花(サクラ)」「町の木(アカマツ)」
が描かれたマンホールカードが発行されています。



<いざ天王山>

天王山登山口の3ヶ所(大念寺/観音寺/宝積寺前)に 「いざ天王山!」の文字
が描かれたデザインマンホール蓋が設置されています。
「いざ天王山」 とは、羽柴秀吉と明智光秀の 「天下分け目の戦い」 である
山崎の戦いの舞台となった「天王山」に由来して
勝負や運命の分かれ目を示す言葉として使われています。




頂上までは登っていませんが、疲れました・・・


天王山登山口
天王山登山口の3ヶ所
(大念寺/観音寺/宝積寺前)
に設置されています。



大念寺
1555年に井尻長助が知恩院の
徳誉光然を開山に招いて建立
山号は見仏山


観音寺
899年に宇多法皇が御願寺として創建
山号は妙音山
山崎聖天(通称)と呼ばれる古寺


宝積寺
724年に聖武帝の勅願に行基により建立
山号は天王山
山崎の戦いの際に
羽柴秀吉が本陣を置いた寺



勝龍寺城(明智光秀最期の城)
「山崎の戦い」 に敗れた光秀は
勝龍寺城に退却し
最期の夜を過ごしました。


勝龍寺城(細川ガラシャ輿入れの城)
明智光秀の娘たま(細川ガラシャ)が
幸せな新婚時代を過ごした城